〜100年の感謝と
これからの100年へ〜

当館は1920(⼤正9)年の創業以来、本年で100周年を迎えました。
ラジウム温泉の発⾒とともに歩んだ、当館の100年間。100年の感謝と、新たな100年に繋げてまいります。

100年の歴史

⼤正9年の創業以来、「依⼭楼岩崎」は三朝温泉の発展とともに歩んでまいりました。
100年の歴史において、皇族や数多くの⽂⼈墨客に愛されてまいりました。
令和元年に新装になった「回遊式⼤庭園⾵呂」と⼤正から受け継いだ「百年の伝統」。
依⼭楼岩崎、新旧のおもてなしでこれからもご来館をお待ちしております。
また、現在、当館では、1Fロビー「ぎゃらりい岩崎」にて、ゆかりの写真、品々を展⽰いたしております。ご来館の際にはぜひご鑑賞ください。

観光業界紙「旬刊旅⾏新聞」2020年1⽉1⽇号にて、記事広告を掲載させていただいております。

01

岩崎旅館の開業

01.岩崎旅館の開業

01

大正時代
岩崎旅館の開業

⼤正時代

当時の屋号は「岩崎旅館」

温泉地としての三朝の将来性に着⽬した故・岩崎吉太郎(初代社⻑)は、⼤正9年に三徳川の岸辺に岩崎旅館(現在の依⼭楼岩崎)を開業しました。

02

02.

⽥⼭花袋、島崎藤村ら
当時を代表する⽂豪の出会い

02

⼤正〜昭和初期

⽥⼭花袋、島崎藤村ら
当時を代表する⽂豪の出会い

島崎 藤村

⽥⼭ 花袋

この頃当館に投宿いただいた⽥⼭花袋、島崎藤村は、当時を代表する⽂豪であり、⼆⼈は友⼈でした。⼭陰の温泉宿で懐かしい友の⽂字との偶然の出会いが残っています。

03

昭和初期

岩崎で誕⽣した野⼝⾬情による
「三朝⼩唄」

野口 雨情

投入堂洞窟風呂

三朝温泉を訪れた野⼝⾬情、岩崎旅館(依⼭楼岩崎)に着くやいなや、旅装もとかず⼀杯のビールを傾けながら三朝⼩唄を即興的に作り上げたと伝わる。

03.

岩崎で誕⽣した
野⼝⾬情による「三朝⼩唄」

03

昭和初期

岩崎で誕⽣した野⼝⾬情による
「三朝⼩唄」

野口 雨情

投入堂洞窟風呂

三朝温泉を訪れた野⼝⾬情、岩崎旅館(依⼭楼岩崎)に着くやいなや、旅装もとかず⼀杯のビールを傾けながら三朝⼩唄を即興的に作り上げたと伝わる。

04.

当館のパンフレットがおもしろい

04

昭和初期

当館のパンフレットがおもしろい

宿泊料⾦の記載

マッヘは放射線量の
単位らしい。

昭和初期の当館のパンフレット、旅館の案内、周辺案内とともに宿泊料⾦の記載があり、おもしろい表も掲載されている。当時も温泉旅⾏は贅沢なものだったようです。

04

昭和初期

当館のパンフレットがおもしろい

宿泊料⾦の記載

マッヘは放射線量の
単位らしい。

昭和初期の当館のパンフレット、旅館の案内、周辺案内とともに宿泊料⾦の記載があり、おもしろい表も掲載されている。当時も温泉旅⾏は贅沢なものだったようです。

05

05.

三朝⼤橋の完成

05

昭和初期

三朝⼤橋の完成

三朝⼤橋の完成を祝う町⺠の様⼦

三朝橋は三徳川(三朝川)に架かる橋、昭和9年に作られた⻘御影⽯造りの⾵流あふれる橋です。

06

06.

与謝野鉄幹・晶⼦の投宿

06

昭和初期

与謝野鉄幹・晶⼦の投宿

与謝野 鉄幹

与謝野 晶⼦

こんこんと湧きいでる三朝の湯につかれを流し、夫婦そろって詠んだ歌、 同じ装丁の掛け軸が残っています。

07

昭和25年

斎藤 茂吉の投宿

当館の庭園で撮影された写真

当時、庭園にあった合歓(ねむ)の⽊を詠んだ歌の直筆ほか、⼥将宛に届いた茂吉からの葉書は今も⼤切に保管されている。

07.

斎藤 茂吉の投宿

07

昭和25年

斎藤 茂吉の投宿

当館の庭園で撮影された写真

当時、庭園にあった合歓(ねむ)の⽊を詠んだ歌の直筆ほか、⼥将宛に届いた茂吉からの葉書は今も⼤切に保管されている。

08.

第6期本因坊戦を開催

08

昭和26年

第6期本因坊戦を開催

橋本昭宇、坂⽥栄男の対局

勝負は4勝3敗、橋本が本因坊のタイトルを衛る。対局で使⽤された碁盤は今も当館にのこっている。

08

昭和26年

第6期本因坊戦を開催

橋本昭宇、坂⽥栄男の対局

勝負は4勝3敗、橋本が本因坊のタイトルを衛る。対局で使⽤された碁盤は今も当館にのこっている。

09

09.

昭和天皇皇后両陛下の
御宿泊の⽤命を賜る

09

昭和40年

昭和天皇皇后両陛下の
御宿泊の⽤命を賜る

離れ / ご到着を迎える従業員⼀同 / 昭和40年 天皇皇后両陛下

⿃取県への⾏幸は昭和22年がスタート。離れ「三朝閣」が御座所となりました。昭和22年・昭和40年・昭和60年と皇族の⽅々にご宿泊を賜りました。