山陰 三朝温泉

歴史

与謝野鉄幹・晶子〜対の掛け軸

与謝野鉄幹・晶子
〜対の掛け軸~

与謝野鉄幹、晶子 直筆

与謝野鉄幹、晶子 直筆

昭和初期に夫婦そろって岩崎に投宿。
鉄幹、晶子の詠んだ歌、 同じ装丁の掛け軸が残っています。

向かって右が晶子の歌

水と灯の 作る夜色の めでたさを
見んは都と 渓あいの湯場

一方、左が鉄幹(寛)の歌

三朝湯の ゆたかなるかな こころさへ
この新しく 湧くよ学ばん

昭和五年六月、日本を去る歌、春思・巴里より等を残した与謝野鉄幹、夫人晶子とともに投宿。
こんこんと湧きいでる三朝の湯につかれを流した。

与謝野晶子 直筆

与謝野晶子 直筆

川波が 雨の裾をば 白くする
三朝の橋を こえてこしかな

与謝野晶子 昭和五年 当館にて

古くより三朝温泉では多くの歌人俳人が逗留し作品を遺してきました。 その名歌玉句の中には清流三朝川を題材にしたものも多く、かつて 歌人与謝野晶子は当館滞在中に白く立つ「川波」を歌に詠みました。

与謝野 鉄幹

与謝野 鉄幹(1873〜1935)

詩人、歌人。京都生まれ。本名、寛。落合直文の門に入り、浅香社に参加、短歌革新運動を興した。のち新詩社を創立し「明星」を創刊、主宰。妻晶子とともに明治浪漫主義に新時代を開き新人を多く育成。歌論「亡国の音」、詩歌集「東西南北」「紫」、訳詩集「リラの花」など。

与謝野 晶子

与謝野 晶子(1873〜1935)

歌人。堺の生まれ。旧姓鳳。鉄幹の妻。新詩社を代表する歌人として雑誌「明星」で活躍。歌集「みだれ髪」「小扇」「舞姫」現代後訳「新訳源氏物語」など。