大正~昭和初期
世界屈指のラジウム温泉として
全国に知られるようになった三朝温泉。
町は、遠方からくる湯治客で賑わっていました。
この頃当館に投宿いただいたのが、
田山花袋、島崎藤村ら当時を代表する文豪。
昭和2年初出 島崎藤村著「山陰土産」
この紀行文の一節に当時の様子が描写されています。
「山陰土産 七:三朝(みさゝ)温泉」より
三朝川は前を流れてゐた。
私達は三朝温泉の岩崎といふ旅館に一夜を送り、七月十三日の朝を迎へて、
宿の二階の廊下のところへ籐椅子なぞを持ち出しながら、
しばらく對岸の眺望を樂しんで行かうとした。
~中略~
こゝで聽く溪流の音はいかにも山間の温泉地らしい思ひをさせる。
河鹿の鳴聲もすゞしい。ゆふべは私は宿の女中の持つて來て見せた書畫帖の中に、
田山花袋君の書いたものを見つけてうれしく思つた。
大正十二年この地に遊ぶとある。
さうか、あの友達もこの宿に泊つて旅の時を送つて行つたのかと思つた。
~中略~
あの友達の來て見たころはこれよりもつと野趣のある土地であつたらうか。
~後略~ 以上引用終わり
岩崎旅館(依山楼岩崎)を訪れていた田山花袋、投宿の折書き残した宿帳。
「大正十二年この地に遊ぶ」
花袋の名を見た藤村は自身の目の前に広がる三朝の風景と、
花袋が見たであろう景色の対比に思いを巡らせ、懐かしい友のこと思う。
田山花袋と島崎藤村
二人の文豪は直接出会ったのではありませんでした。
しかし、山陰の温泉宿で懐かしい友の文字との偶然の
出会いは山陰の旅をより豊かにするものだったのでしょう。
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